虫について考える−2

生き物たち

greenbottles; bluebottles

先の「虫について考える」で、管理人・筆者がハエが減っていることを話題にしました。そこで最近見なくなったギンバエですが、greenbottlesとかbluebottlesと英語では言うんですよ。子どもの時分に見たのは、まさに光沢感ある緑、shiny green でしたが、青色のshiny blue もいるそうです。これらのハエについて、前回に紹介したWeb・The Guardian ガーディアン誌 で紹介されていた生物学者・グールソン氏の著書Earth Silent の要点をまとめた記事の中で解説しています*1。ハエの生物としての生存戦略が垣間見えます。それにしても、ハイネケンのビールのボトルはgreen bottle ですね。あの色でハエの色を表現するとは、「へーっ」と思ってしまいますが、読者の方々は感心は全くありませんか?

*1 The insect apocalypse: ‘Our world will grind to a halt without them’
by Dave Goulson

The insect apocalypse: ‘Our world will grind to a halt without them’
Insects have declined by 75% in the past 50 years – and the consequences may soon be catastrophic. Biologist Dave Goulson reveals the vital services they perfor...

かつては、こんな感じでした

ハエについて書いて関連して思ったのですが、”ハエが減ったことは好ましい” と思っていた感がありました。多くの方も同様に考えたのではないでしょうか。

私たちの生活環境が衛生的に改善されてきたから、と思ったからです。管理人・筆者が、小学生低学年のころは、肥溜(こいだめ)といって、畑の隅にコンクリートで固めた水槽状の容れ物が埋め込まれ、人糞だったのか、家畜などの排泄物なのか、それが肥溜に入っていて、蓋などなく、上部はコンクリートの切妻屋根になっていて、屋根の側面は矩形に開かれてあります。汚物を肥料として使う際には、その開いたところから柄杓(ひしゃく)で汲み出すわけです。開口部から雨水は入り放題で、溜まった液体や固形物が臭いを放っていました。”子どもが肥溜に落ちた” という話もあったようです。管理人・筆者の周囲にはいませんでしたが。

「ぼっとん便所」というのもありましたね。水洗トイレでないトイレ、2mに満たない下には、自分と家族の排泄物があるわけです。暗くて様子はよくは判りませんでしたが、直に在るわけです。汚物臭の放出のための煙突状の筒がついていて、先端部分に簡単なモーターを置いていて、それと加えて、螺旋的な切れ込みというかあるいはファンが、ーこれは、実物を見ないと解り難いですねー風でくるくると回ってて、内部の臭いを外に放っていたように思います。定期的に汲取業者の方がいらして、ゾウの鼻のようなホースで強力に内容物を収集してくれるのでした。

ハエの話でした。なぜ、こうした話をるる述べたのは、昭和の時代にはハエの生息しやすい環境が日常的であったということです。重ねて不快な話かもしれませんが、筆者・管理人が経験した、汲取業者の方が収集してくれる和式のトイレでは、時折、親がウジの殺虫液を便器の上から撒いていました。そう、排泄物にハエが卵を産み付けたのです。ですから、夏などは、家の中にハエがたくさん飛んでいた時があったことを憶えています。

家の中もこのような状況でありましたし、外においても肥溜があったりして、ハエに出合うことは日常的でした。それが、今では、ハエを見ることが稀な日常になってしまっています。燃えるゴミの日で、生ゴミが出される日であっても、ハエが集まっている場面に遭遇した記憶は最近ではなかったように思います。正直、ハエが少なくなって好ましい、と思ってはいたのです。生活の文明化が進んで、生活環境が衛生的になった証であると思われたのです。・・・が、しかし、私の住まう環境の周囲には、ハエが少ないどころか、ほとんどいなくなっているのでは、と考える機会がありました。

先日、アスファルト道路脇にミミズの死骸が5〜6体あり、それらを、おそらくダンゴムシが、集まって食していました。子どもの時分であれば、このような場面でハエがたかっているのは、当然のように思いますが、まったく存在しないのです。

ミミズの死体にダンゴムシが集まっているが、ハエは一匹もいない。

ハエのことを考えていると、「そういえば・・・」と思わされることが連鎖的に浮かんできました。昨今、様々な種類の犬を散歩をさせている方を頻繁に見受けます。困ってしまうことですが、自分の犬の糞を処分しない方がおられます。そうした放置された犬の糞ですが、時間がそれほど経っていないようであっても、ハエがたかっていないことに気がつきました。道路脇に糞があれば、ハエの羽音が聞こえるのが当然と思っていましたが、最近では状況が変わったようです。ググって詳しくは調べてはいませんが、最近のペットフードは、糞が臭くならないような工夫がなされていると聞いたことがあったような・・・。ハエを惹きつける臭い物質を出さないようにしているということでしょうか? 犬猫の消化のいい食物で生理反応を操作している・・・、そうだとしたら、感心もありますが、もう一方で怖い気持ちも惹起されます。そこまで操作できてしまうのか、・・・と。ともかく、ハエを見かけません。管理人が子どもの時には、考えられない事態になっています。

どうしましょう?

昆虫全般の個体数の減少に関して、ハエが減ったことを例に、周囲の環境で実際に起きている事象を振り返って見ました。それでは、私たち人間はこのような事態に、どのように臨んでいったらいいでしょうか? 確かに、生活環境の衛生を保っていくことは悪いことではありませんが、草や虫に対して、「雑草駆除、害虫駆除」という考え方は改めていくことは必要でしょう。除草剤、殺虫剤など撒き散らかすのをやめましょう。ハチが玄関先に巣を作ってしまったときは、駆除する必要があるでしょう。そんな時は殺虫剤は有効です。場面や必要に応じて使用せざるを得ない時はあるでしょうが、殺虫剤や除草剤を使う機会を減らすことが第一歩です。

昆虫を甚だしく殺してしまっては、 私たち人間は自らの存在を危うい状況に追い込んでいくことでもあります。殺虫剤を散布すれば、呼吸や肌を通じて人間の体内にも取り込まれます。殺虫剤をかけた時の、昆虫たちの苦しむ様を思い出してみてください。のたうち回っているでしょう。生物全般に毒であろうことは想像できますね。

管理人・筆者からの提案したいことは、特に、育児中の親御様たちは、子どもを契機として、虫に興味を持つ子どもたちは多くいるでしょうから、お子様の興味を惹いた虫のことを、図鑑やPCで調べてみることをお薦めします。ググるだけで、虫の名前や特徴を知るだけでも効果大です。知らないと恐怖が高まりますが、知ることで虫に愛着が出てくるのが不思議です。これが第二歩だと思います。

第三歩目の行動としては、可能であれば、家庭菜園をやってみては、いかがでしょう。そして、化成肥料や農薬を撒くことなく行ってみることです。隣地の方が農薬を撒いていたりすると、自分の畑に虫がやってきます。葉っぱが虫食い状態になっても、収穫物は大丈夫であったりします。雑草が生えてきても、そんな神経質にならなくても問題ありません。ただ、菜園のお隣さんが、きれいに雑草を取り除いていたりすると、嫌がられたりもするので、時々は草むしりしてます、的にやっておけばいいでしょう。

ピーマンを栽培するとカメムシがびっちりたかっていたりします。収穫時に、自分の手にもたかってきます。ちょっと気分がゾワゾワします。でも、変に潰したり、追っ払おうとせずに、収穫に没頭してください。収穫物にたかって邪魔な時は、カメムシの触覚をハサミで切ろうとしてみてください。貴奴ら、ちゃんと逃げますから。その様が少し可愛くもあります。

管理人・筆者は、カメムシから警戒のシグナルの臭い液というのを掛けられた思い出はないのですが、カメムシを手で触れた後で匂いを嗅いだ時の感想、「草の匂いじゃん」。そして、最近人気の、あの野菜の匂いだと思いました。さぁ、何でしょうか? カレーを調理する時に使います。考えてみてください。

まとめ

今回は、ハエを見る機会が減ったことから、私たちの生活環境を見てみると、衛生度合いが上がったことが判ります。ですが、”きれい” を飛び越えて、潔癖になり過ぎて、雑草や昆虫を「駆除」するという考え方になることは昆虫が減ってしまう、という事態は、結局、自分たちの世界を生き難くくしていることになります。雑草が減り、昆虫が減れば、連係的に魚や鳥も減ることになります。本稿で紹介したグールソン氏が、著書で述べていることです。

私たちが、人間独善的な環境とならないようにする、管理人・筆者の提案としては、


  • 除草剤、殺虫剤を極力使わない。
  • 昆虫を調べてみる。知る機会を持つ。
  • 家庭菜園をやって作物や昆虫と触れる機会を持つ

以上の、三点でした。お勉強と考える必要はありません。癒やしの時間となるはずです。それでは、またの機会に。ごきげんよう。

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